国分寺のカフェでコミュニティと世界観について考えてみた
カフェスロー@国分寺

先日、東京の国分寺にあるカフェスローに行ってきました。先日伊勢に行ったときにゲストハウスの方に聞いてから、近くに行ったら行こうと思っていたのをやっと行くことができました。

カフェスロー@国分寺

カフェスロー@国分寺

最近、信じるものが欲しくてたまらないのです。自分を信じてそこに向かっていくのももちろん良いと思いますし、今までの数年間はそんな感じで突っ走ってきました。しかし最近ふと思うのはなにかもっと大きなものを信じていたほうが幸せなのではないか、と。きっと時代や場所が違えば宗教だったり家族だったり「家」だったりしたのだと思いますが、令和の日本ではなんだかぽっかり空いてしまっている気がしていて、そこを埋めるものためにコミュニティというものが果たしていく役割って大きいと思うんですよね。

壁際の席は手作り感があふれている

壁際の席は手作り感があふれている

ベンチャー企業もコミュニティも結束が強まれば強まるほど外からは宗教のように見えるものですが、それは信じられる価値観があって、そこに身を任せるメンバーが居るからなのではないかと思ってきました。そう思うと宗教って悪いものではないんですよね、揺るぎない強い自信を持つ人、つまり自分自身が自分自身に対する教祖足り得る人以外にとって何らかの信じる対象は必要だと思うのです。

ランチプレート。 山形のお米とブラジルのフェアトレードコーヒー(だったと思う

ランチプレート。 山形のお米とブラジルのフェアトレードコーヒー(だったと思う

このカフェにはその「皆が信じる価値観・世界観」と「そこに集まるファン」というものをものすごく感じました。内装も、売っているものも、都会のおしゃれカフェ志向ではなく手作りの独特なものだからかもしれません。もちろんご飯もコーヒーも美味しかったので、お近くの方はぜひ行ってみてください。

国分寺に行ったのでもう1件、駅北口の胡桃堂喫茶店にもお邪魔してきました。小説の中からそのまま飛び出してきたような本をテーマにしているカフェで、入った瞬間にその物語の登場人物になった感じがしました。

本の出版もしているらしい。棚の本はカフェで読めます。

本の出版もしているらしい。棚の本はカフェで読めます。

ブックカフェだと思うのですが本を読む人、パソコンを開く人、談笑する人、皆それぞれが思い思いの時間を過ごしているのに、なんだか同じ世界線にいる感じがする空間でした。スターバックスが好きな人達も、あの世界観が好きなんですよねきっと。

胡桃堂喫茶店のくるみスイーツ。 伝票ホルダーもくるみ。

胡桃堂喫茶店のくるみスイーツ。
伝票ホルダーもくるみ。

カフェが好きなんだけど、どうして好きなんだろう?という問いの一つの答えが見つかった気がしました。お客さん一人ひとりの人生のストーリーの一部になって、そしてその価値観を信じてくれる人が集まるようなそういう場所、そういう場所を作りたかったんだなと改めて思いました。名物店主がいるから会いに行こう、だと店主個人のファンになってしまい、それはできないなぁと思っていたのですが、そうじゃなくて「カフェ」という一つのまとまりとして価値観を出していっているんですよね、きっと。逆に言えば、全スタッフがその価値観を体現している。

閉店間際、お客さんが帰ってから撮影。 人がいたほうがその世界観をより表現できている気もするのですが、写真撮りにくかったのでぜひ行ってみてくださいw

閉店間際、お客さんが帰ってから撮影。
人がいたほうがその世界観をより表現できている気もするのですが、写真撮りにくかったのでぜひ行ってみてくださいw

カフェでも会社でもコミュニティでも形はどうあれ、もう一度、そういう場所を作っていくことに取り組みたいなぁと思った国分寺巡りでした。国分寺市、東京の中でも人口増が著しく、東京都下(23区外)ではトップだそうです。古民家カフェとかも増えているようで、とても気になる。
ちなみに、なぜ国分寺に行ったのかというと隣の府中でノリで免許の試験を受けたからです。本当は色々あって行くのをやめようと思っていたのですが、申し込んだからにはと思っていってきたのでした。ちなみに、先日のAT限定解除は合格したのですが8t限定解除は落ちてしましました。トラックの運転自体は楽しかったのでまたいつか挑戦しようと思います。

それにしても、原付と時間があってよかった。このどちらもなかったらのりで試験受けに行こうなんて思わないし、国分寺に久しぶりに行くこともなかったと思うと、コロナで仕事無くなったのは悪いことばかりじゃないですよね、ホント。

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