人を勝手に信じることで絶望を感じてしまう私と同士への処方箋

「人をすぐに信じそうですよねー」と数日前にある仕事のパートナーから言われました。
「えーそうですか?」って答えましたが、まぁそうなんです、信じてしまうんです。
だから、信じないように、信じないように、と距離を置こうと頑張っているのです。

その言葉からは人を簡単に信じてはいけないという長年の経験から来る学びがあるように思えました。

私は勝手に人を信じてしまうことで、予想される結果と異なる結果が出た時に動けなくなってしまう、ということを過去に何度もやってきました。
なので、やはり人を信じてはいけないと数年前にも心に決めたはずなのですがまた失敗してしまいました。

最近資産運用や仕事のポートフォリオはある程度組めるようになってきたのですが、人生のポートフォリオはまだまだうまく組めないようです。
そもそもそこはポートフォリオじゃない、という世界を信じたくもありますが・・・。
でも、やはりリスクはできるだけヘッジしたほうが長期的な平穏はやってくるし、一つ無くなっても良いと思えるかどうかというのは精神衛生上とても大きいと思うんですよね

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他人ではなく自分を信じ、自分に期待しよう

まず、他人を信じたり、他人に期待するのやめません
という話です。

人生において自分がコントロールできないものに気を揉むのって、率直に言って無駄だと思うんですよね。
他人の行動や言動、思想などというものは当然自分にコントロールできないものじゃないですか。

もちろんコントロールではなく、いい意味での影響を与えるためにできることはあると思います。
でも、その結果は相手の自由ですよね。受け取るも、受け取らないも、自由。
なので、願ったり祈ったりすることはできても、その結果に対して失望するということはまぁなんて無駄なことかと思うのです。
そう思いつつも失望したり絶望したりしてしまうので、まだまだ心の修行は道半ばなのですが。

でも、自分が何を選び、何を実現していくのか、はコントロール可能です。
期待するなら自分の未来。信じるなら自分の力、自分の行動。

ちなみに自分に自信がない、っていう人は自分との小さな約束事を作ってそれを守っていくと良いそうです。
明日○○時に起きる、明日掃除をする、今から5分間全力で休憩する、なんでも良いのですが、守れる目標を作って、守る。
それを続けていくと自分を信じられるようになる、つまり、自信がつくんですよね。
自信がないという人はお試しあれ。

それが大前提だと思いますが、そこからぶれてしまうときだってあるもの。
そんなブレた時の話を、今回は書いてみようと思います。

人生にインパクトを与えた人を信じてしまった大失敗

数年前の出来事。私の人生史上トップクラスのインパクトを今も残し続けており、1年くらいは影響を受けてしまった話です。

数年前に仕事でも何年か一緒に仕事をしていて、これからも一緒に仕事をしていくのだろうと勝手に思い込んでいた人がいたんですよね。
今も、感謝や尊敬しているところはかなり多くあります。
あるビジネスパートナーが撤退となった時に「同じ条件でウチが引き継ぐから、来年以降も心配しないでいいよ」のようなことを口頭で言ってくれてとても助けられたんですよね。
当時私の会社はその事業に売上の殆どを依存していたので、一瞬どうなることか、新たな協業者を探さねば、と思っていたのですが一気に課題が解決したように感じました。
その翌年「ウチが全部やるから」という前提で話があり「それっておかしくないですか?」と言うと「そんなスタンスの人とは仕事はできない」と、仕事をすべて持っていかれたわけです。
その結果、一瞬で予測していた売上の大半が消え、給料も家賃も払えないし、文字通り一文無しになりました。

純粋に人を信じてしまったことにものすごく後悔をしたとともに、半年から一年ほどほとんど仕事が手に付かない状態になってしまったのです。
これは私の弱さでもあるのですが、失望したり絶望すると生きる気力を失ってしまうんですよね、回復方法は未だ模索中です。

仕事をすべて持っていくスタンスの人たちは、今も沢山の人から人気者なので、声が小さいものは無かったことにして握りつぶせば良い、というのが日本の成功者なのでしょうかと今も思うこともありますし、実際ある程度はそうなんだろうと色々見ていて思います。

その時から契約書を結ぶまでは絶対に信じないようにするようになりました。
これはフリーランスや中小事業者として生きていく上でとても大事な学びになりましたね。
契約が出来る前の「発注するから」という言葉を信じて、予定を開けていたとしても、来なかったのであればただ仕事がない時期ができるだけ。
もともと予定変更や、何か言いがかりをつけてお金を払わなくて良いような選択肢を残したいから契約書を結ばないのだと思いますが、そういう人と仕事をしていても長期的に幸せに働ける気は今の所していません。
逆に、そういった方との仕事を減らすことで、より自分が幸せになれるような、やりたいと思うような、そういう仕事が増えてきました。

また、当時は売上が一つのビジネスに大きく偏っており、営業活動を他者に任せてしまっているというのもリスク要因でした。
それ以来、事業ポートフォリオをある程度広くして、一つの次長が無くなっても

そういった意味ではとても良い学びになったのですが、辛さランキングでは間違いなくトップでしたね。
人を勝手に信じてしまった失敗です。

最近の人を信じてしまった失敗

先日、急遽同居人から追い出されることになりました。
どうやら、私がいないという嘘の世界線で友人やら何やらを連れ込みたいらしく、いないという世界線を維持するために消えてほしいということだそうです。
そういう要請を同居人からしばらくの間頂いていたのですが、嘘の上で成り立っている現実をどうしても大事にしたいようです。

教育研修業が好きな私なので人は変わると信じたいのですが、言葉で反省しても同じことを3回くらいしている人を見ると本当に人は変わるのか?と疑問が浮かび、やはり人間は信じるべきではないのかもという邪念が今私の頭を支配しています。もう何を言っても言葉は届かないので、出来ることはなにもないのですが、もしなにか出来ることがある人がいたら、世界を良い方向に向かわせる手段があると信じるだけ信じておきます。「嘘も言い続けて現実化したら嘘ではなくなる」という言葉がありますが、そうやって人間ってものは幸せを掴んでいくんですかね。

人間関係にもポートフォリオの考え方って必要なのかなと思いました。
居場所は複数持つと良い、とも言いますよね。
居場所が複数あれば、1つの居場所が居心地悪くなったり、無くなっても他の居場所に移ることで苦しくはない。
学生とか、居場所が学校しか無い事が多いから、学校でいじめられると絶望しちゃうんですよね。。

そして、居場所の他に1つ以上の緊急避難場所もあると更に良し。
更に良し、というか、絶対あったほうが良いですよね。
何があっても、絶対に愛を持って受け入れてくれる場所。
家族がそういう場所になっている人もいれば、なっていない人もいるように思えます。
外国人だと、教会がそういう場所になっているとも感じます。
本当に絶望を感じて、もう誰も何も信じられなくなった時でも、受け入れてくれる場所があれば、もう一度起き上がることができる。

日本での生活に向けて色々物を増やしてしまったので、スーツケース数個に入らないものはまた処分することになりそうです。過去とともに断捨離する、人生のミニマリスト。そこまでの人生のミニマルは望んでないんだけどなぁ。例えば誰か一人の命と引き換えに世界が救えるとしたら私はいち早く乗り出る男になりそうです、世界平和を守る秘密結社からのお誘いお待ちしておりますね。

せっかく起こった出来事を活かしていきますよ

ということで、やっぱり人を信じると痛い目を見てしまうと言うことですね。
また繰り返してしまった・・・ということです。

この記事では別にその人達を批判したいとか糾弾したいという意図はありません。
皆それぞれ大臣にしたいものがあり、それを守っている中でのすれ違いはそれ自体はある種仕方がないものだと思うし、極論価値観の違いなだけです。
カレーが嫌いな人がいて、カレーが好きな人がいる、ただそれだけのことです。

今回の話でも、大事にしたいものが違っており、少なくとも、私ではなかった、と言うだけの話です。
すれ違いが起こるくらい価値観が違うので残念ながら先方が大事にしたいものはわからないのですが、自分だったり、他の仲間だったり、するのでしょう。

でも、逆に言えばそういう自体に直面するであろう人は多いと思うのです。
そんな時に、どう考えていけば大きくダメージを受けなくて済むのか、それを伝えることで少しでも辛いと思う人が減るのではないか。
もしまた私に同じような事態がやってきたとしても、たち帰れるのではないか。
そう思って、この記事を後悔することを決めました。

まとめると、嘘をついたり、人を出し抜いたりする人が有利になる社会にしばらく絶望を感じておりますが、しばらくはそんな絶望の国の旅人になろうと思います。そんな人達が表舞台にい続けることの出来る国で生きるのってホント面倒だと思いますし、そんな面倒な世界でなぜ生き続けなければいけないのか?とも考えてしまうのですが、それを上回る「自分がこの世界に生きる意味」をこじつけでも思い込みでもなんでもいいから持っておくことが幸せに繋がるということですね。

生きる意味を家族や子供としている人もいますが、結局それは他人なので消える可能性があるのではないか、とも思うので、ここはまぁ難しいですよね。
なぜ生きなければいけないのかを考えるのも、コントロールできないことを考えているし、その結果なにか良いことが起こるとは思えないという無駄な問いなので、そんな問が頭に思い浮かんだのであればもう少し違うことを考えてみるのが良いのではないでしょうか。
私は哲学者ではなく実利主義者なので。

ということで

  • 自分を信じる。自分の道を進む。
  • コントロールできないものを勝手に期待しない。
  • 拠り所は複数持つ。

という処方箋を提示することで今回の記事を締めくくりたいと思います。
同じような問題にぶつかるであろう未来の自分自身や、誰か他の方の参考に少しでもなれば嬉しいです。

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